小さないのちを守る会の歴史と証し(その10・最終回) 辻岡敏子

~2012/04/28総会に於いて~

1984年、地の塩・世の光としてキリスト者の社会的使命と責任を果たすために「小さないのちを守る会」が誕生し、北海道から沖縄まで中絶防止、養子問題の相談、聖書に学ぶいのちと性の講演、また中絶体験者の悔い改めと救いのために文字通り日本中を駆け巡り、あっという間の30年でした。

会員数も3000人を超え、実子として迎える特別養子縁組の赤ちゃんも300人弱を数えます。支部も北海道から沖縄まで日本各地に誕生し、小さないのちを守り続けています。

辻岡が小さないのちを守る会の活動を一企業家に話したとき、あなたほど人脈に恵まれた人に私は今まで会ったことはないと驚かれたことがあります。会のスタートと同時にニッカウヰスキーの王様のデザインを描いたデザイナーの大高重治さんが会のロゴとマークを、またニコンサロンの入選者、荒井志朗さんが専属カメラマンとして8年間私たちに同行して1万枚の写真の中から写真集「小さないのち」を作ってくださり、また一流の漫画劇作家、熊井秀憲さんが「小さないのち」のマンガ制作に信仰と情熱を注いでくださいました。一つひとつ数えると、きりがありません。

また沢山の医療関係者が協力してくださいました。 北海道の平畠、藤村産婦人科医、盛岡の森田小児科医、石巻の菊田産婦人科医、栃木の富永産婦人科医、埼玉の石黒産婦人科医、東京の佐々木内科医、松永産婦人科医(現在、牧師)、大阪の西機小児科医、長崎の磯野 産婦人科医、(すでに天に召された先生方で沖縄の喜久里衛産婦人科医、埼玉の石黒妙子産婦人科医、宮城の菊田昇産婦人科医)、その他各地の助産院の方々や大勢の医療関係者の皆さんに助けられてきました。

北米毎日新聞 1998年2月28日

また、小さないのちを守る会のスタートに際し、一般マスコミ関係(テレビ、新聞、雑誌等)に、キリスト教の立場に立って中絶防止の活動を始めると連絡しました。そのため再三、新聞に取り上げられ、またテレビ、ラジオにも出演し、いのちの尊厳を訴え続けてきました。

我田引水になりますが、小さないのちを守る会は一般社会にも市民権を得つつあります。また海外(韓国、カナダ、アメリカ、イスラエル、ヨーロッパ等々)にも日本の小さないのちを守る会の働きが好意的に受けとめられ、世界のプロライフの人々に祈られていることも嬉しく思っています。また外国の人たちも事務所を訪れて、お互いに使命を一つにして祈り合い、励まし合うことの出来ることも感謝です。

何よりも嬉しいのは、この手に抱いた赤ちゃん達が成長し、信仰を継承して洗礼(バプテスマ)を受けました、また、結婚しました、子どもが生まれました等々の連絡をいただきますと、今までのいろいろの苦労が大きな喜びに変えられます。最近、送られて来たカードの中に、「結婚しました。私は産婦人科医で主人は小児科医です」と、仲良くほほえんでいるカップルの写真に、おめでとう、良かったね、とエールを送りました。

「かつて中絶天国と言われた日本にいのちが輝き、いのちといのちの触れ合いに優しさがあり、温かさがあり、潤いがあり、特に小さないのちに限りない、いとおしさのある日本、神の形に造られたいのちが神の栄光を 輝かす日を夢見ています。