小さないのちを守る会の歴史と証し(その7) 辻岡敏子

2012/04/28総会に於いて~

1989年、盛岡市の小児科医森田友明先生と出会いました。森田先生は東京のご出身でいらっしゃいますが、医学を志して東北で学ばれました。卒業後も東北をこよなく愛され、同医師間の交流だけでなく、また趣味の川釣りクラブにも籍を置いて地域との交わりも深めていらっしゃいました。辻岡も一度、多忙なスケジュールのなか、先生と共に早朝3時起きの川釣りで、東北の自然にも触れさせていただき、活動の力をいただきました。

森田先生は盛岡市で地域から慕われ信頼される森田小児科医院を開院して、名刺に『小さないのちを守る会会員』と刷り込んで医師会などでお医者さんたちに配っていてくださいました。そのために、小児科医として、いろいろな産婦人科医から相談を受け、元看護師であり伝道のためにハレルヤ幼児園を開園されている元看護師淑子夫人と共に養子のお世話を何回もしてくださいました。

三浦光世・三浦綾子夫妻と辻岡夫妻
三浦光世・三浦綾子夫妻と辻岡夫妻

北海道の旭川恵教会(正田貞次牧師)で小さないのちを守る会の講演会があり、三浦綾子ご夫妻も出席され、翌日同行した菊田昇医師と共に三浦光世・綾子ご夫妻宅に招待されて、大きな励ましと協力の約束をいただきました。「とても大切な働きです。寄らば斬るぞ!という覚悟で頑張ってください。私も講演の度ごとに小さないのちを守る会の働きのことを話します」と大きな励ましをいただきました。その後も私たち夫婦が北海道に行くたびに、ご自宅の昼食によくお招きをいただきました。

同年、茨城の教会の講演に招かれ、長崎出身の医学生磯野潔、親友の沖縄出身の医学生喜久里衛両名と助産師、看護師の学びをされている熱心なクリスチャンの医療関係者との感動的な出会いがありました。磯野潔先生は卒業後、同助産師(憲子夫人)と結婚され、郷里の長崎で父上の産科医の跡を継いで地域の医療と伝道のために磯野レディスクリニックを開院し、病院内に多目的ホールのチャペルを設けて、今も医療伝道者として、小さないのちを守る会の協力医師として活躍し、中絶相談の患者を説得し、また夫妻共々養子問題にも取り組んで下さっています。特に妊娠中の女性が養育不能な場合は、ボランティアとして出産までの面倒をみてくださり、神の言葉と愛を伝え、その神の愛に触れ、神の言葉を聞き、悔い改めてクリスチャンになる女性が何人も誕生しま した。今も磯野医院に里帰りする女性家族また子ども達が後を絶ちません。また喜久里衛先生も同看護師(玲子夫人)と結婚されて郷里沖縄でキリスト教関係の病院に『わたしは命のパンです』と大書した車で勤務され、中絶を防止し、養子の世話にも積極的に取り、組んでくださいました。また私たち夫婦が沖縄を訪れ、講演会や集会を持つたびに、サキソホンと賛美独唱で応援してくださいました。診察する女性を説得し、新生児を自宅にご夫婦で預かってくださったこともありました。

この年、私たちはハワイに招かれました。冬木牧師夫妻はじめ3牧師が担当しているKZO0日本語放送ラジオ番組「心に光を」に三日間ゲスト出演して、小さないのちを守る会の話をしました。この放送を聴いた方々からの反響が大きく、クリスチャン北村光餘子アナウンサーからそのことをお聞して感謝なハワイでの旅でした。また、私たちは別々に、マキキ教会でメッセージの奉仕、また私はIJCCで親子教室のスタッフの方々と色々な経験を話し合いました。