小さないのちを守る会の歴史と証し(その1) 辻岡敏子

28年の歴史を振り返って~ 2012年度小さないのちを守る会総会講演から

辻岡敏子(小さないのちを守る会)
辻岡 敏子

1974年にスイスのローザンヌで世界宣教国際会議が開催され、その中で「キリスト者の社会的使命と責任」が大きく採り上げられ、「ローザンヌ誓約」が採決されました。

その後、元AVセンター(キリスト者視聴覚センター)のJ・シュワップ宣教師が中絶反対のためのムーブメントを日本の教会に呼びかけました。日本の大きな社会問題、それは、私たち社会の大切な構成メンバーの一人である小さないのち(胎児)を優生保護法(母性保護法)の名のもとに日常茶飯事のように闇から闇に葬っている人工妊娠中絶です。

そして、ビジネスマンとしての社会経験があり、牧師として社会経験があり、また超教派伝道の経験もある辻岡がこの働きに召されました。

中絶医から厚生労働省に届け出る中絶件数は、この当時は年間40万前後ですがそれは実数ではありません。優生保護法の生みの親といわれる太田典礼氏は、1967年4月「堕胎禁止と優生保護法」という本を出版して、その中で次のように言っています。

「中絶の届出数が減少しはじめたと喜んでいるが、届出数は実数の何分の一だといわれ、実数をつかむことは困難である。また中絶に対する世論がやかましくなるにつれて、指定医が届出数に手心を加えているともいわれているから、いっそうあてにならない。中絶件数は年々うなぎ上りになり、100万をこえてきた。しかも実数は少なくともその2倍ないし3倍はあるだろうと推測され、5倍はあるとする意見すら出るに至った。いずれにしても出生数をはるかに上まわっていることには疑いない。」と述べています。

今でもこの事実は変わっていません。生命軽視と性秩序の乱れがエスカレートしている時代です。本来は出産を介助していのちを助けるべき医師が優生保護法指定医となって中絶し、届出数+未届数+闇中絶=実数300万〜500万とまで言われている天文学的数字の年間中絶件数です。

こうした現実の中で、辻岡が日本の中絶の現状のすさまじさに驚き、神のかたちに神ご自身が想像された尊いいのち、小さないのちを守るために、キリスト者としての社会的責任を果たすために、強い神の導きと神の召命を受けて立ち上がったのです。私に「さらに良きサマリア人になる!」と言ったことばが今も耳に残っています。

アメリカのネイサンソン産婦人科医師が製作した「サイレント・スクリーム」という、11週目の胎児を中絶する現場のフィルムを入手し、日本語に翻訳して「沈黙の叫び」と題して、当初、AVセンターのD・マッグワイヤー宣教師と共に「沈黙の叫び」と「ママどうして⁉︎」(中絶の現場を知り、各方面の意見を取り上げ、中絶問題を考える)の映画を持って、教会を訪問して聖書からいのちの尊厳を訴え中絶防止の啓蒙活動を開始しました。

それを知った週刊誌「女性自身」の男性記者が早速事務所に訪れ、「沈黙の叫び」を中心に取材し、「ああ、お腹の中の赤ちゃんが壊される!」と電車の吊り広告にも大書し、続いて「婦人公論」から女性記者の取材訪問がありました。また「アエラ」、朝日新聞はじめ各紙にも再三「小さないのちを守る会」の働きが取り上げられました。次第に、テレビにも繰り返し出演する機会があり、一般社会にも市民権を得ていきました。

生命軽視と性の秩序の乱れの中で、神と教会に仕えながら、神の栄光を現すために、いのちの尊さと性の大切さを、聖書からひたすら叫び続ける日々となりました。

(次回から初期の頃からの話を年代別に振り返っていきたいと思います。)